雑草軍団で勝つ。「オレたちにも出来る」清宮克幸が日本ラグビーに与えた勇気
降格の危機を救い日本一も経験。ヤマハ発動機を変えた名将の軌跡
■早大で黄金時代を築く。サントリーでも優勝を経験
指導者人生のスタートは2001年、母校・早大の監督就任だった。現役引退してすぐの就任だったが、学生時代から定評のあったリーダーシップと戦術眼、サントリー時代に東日本社会人リーグ、全国社会人大会、日本選手権の修羅場をくぐった経験と、土田雅人、エディー・ジョーンズらの指導者から学んだエッセンスをもとに、当時の学生ラグビーでは最先端の実践的トレーニングを導入。
在任5年間で対抗戦は5年連続で全勝優勝、大学選手権では5年間すべて決勝に勝ち進み、うち3度は優勝。自身がキャプテンだった1989年度を最後に遠ざかっていた大学日本一のタイトルを、自身が監督になって12年ぶりに取り返してみせた。その間、五郎丸歩(2007年度卒、ヤマハ発動機)や畠山健介(2007年度卒、サントリー)、今村雄太(206年度卒、神戸製鋼)、青木佑輔(2005年度卒、サントリー)らきら星のごときスター選手をラグビー界に、日本代表に、ワールドカップに送り出した。
次に預かったのはサントリー。2003年度のトップリーグ発足後は下位に低迷していたサントリーだったが、清宮監督が就任した2006年度はプレーオフ決勝まで勝ち進み、当時常勝を誇った東芝をあと一歩まで追い詰める戦いを演じ、翌2007年度にはトップリーグ初優勝。「優勝請負人」「名将」と謳われた。
そんな清宮が、トップリーグ下位に低迷していたヤマハの監督に就任したのは2011年だった。清宮は2009年度を最後にサントリーの監督を退任していた。